Apr 23, 2011

借金返済を軽減する任意整理

負債は、毎月の返済額が決まっています。仕事を失うか、自分の身の回りに起こったことをきっかけに、払い戻しが不可能な場合があります。まず、自己破産を考えがちですが、任意整理する方法があります。弁護士に相談して決めることになります。任意整理は借金の返済にはより良い方法を見つけることができます。
借金は自分の責任。しかし、気づいた時に借金は完済しない。そうなれば自己破産しかない。自己破産しないため、努力をしてはいけない。人間死ぬ気になれば何でもある。貯蓄をするのは時間がかかる。借金の返済にも時間がかかる。皆同じだ。その後、自己破産ができないので努力も時間をかける。
 ■オリーブの島に生きる 地元に溶け込み充実の「秋」

 東日本大震災で発生した東京電力福島第1原子力発電所の事故の影響で、福島を離れた加藤勝一さん(41)は、瀬戸内海に浮かぶオリーブの島、小豆島(香川県)に移り住み、のどかに暮らしながら4カ月余りが過ぎた。「すべては子供たちをベースに考えて出した結論」と、ふるさとの福島県二本松市を離れたことに後悔はないという加藤さん。オリーブの栽培と製品加工を手がける企業に就職し、慣れない夏を乗り切って実りの秋を迎え、実の重さに枝をたわませるオリーブの収穫作業に充実感を覚えている様子だ。(堀之内照幸)

 今月15日、同島の小豆島町の内海八幡神社で行われた秋祭り。奉納される太鼓台の乗り子の1人に、長男の宏樹君(12)が選ばれた。担ぎ手を励ますように大きくバチを振り、太鼓を打ち鳴らす祭りの花形だ。同町立安田小学校の4〜6年の児童23人が大小の太鼓台に乗った。

 伝統に沿った衣装や履物は、同級生の保護者や近所の人たちが用意してくれた。地元の子供たちにとって「太鼓に乗る」とは栄誉ある思い出。加藤さん一家が地域の一員として受け入れられたことを物語る。

 加藤さんは、妻の敬子さん(37)と長男の宏樹君、長女の沙羅さん(9)、次男の翔吾君(3)の5人家族。大震災が発生した3月11日、建物の崩壊を恐れて当時住んでいた団地の2階から、車で農業を営む両親の元へ。数日間は畑に駐車した車内で寝た。その後、東京や二本松市内の親類を頼って、転々とした避難生活が続いた。

 移住直前まで暮らした二本松市で、保護者らでつくる「子供を守るネットワーク」を通じて地域の放射線量を測定したところ、道路の側溝の線量がかなり高いことが分かった。道路の端や側溝付近は、子供たちが特に歩きたがる場所なので不安が募った。敬子さんは「関西地方まで避難したい」と強く思ったという。

 インターネットで同町の支援策を知り、昨年開催された「瀬戸内国際芸術祭」やオリーブへのあこがれも少しはあって「小豆島へ行こう」と決心。一家は6月5日に小豆島に到着し、翌6日には町役場に行って住民票を移した。退路を断って、覚悟の移住だった。

 加藤さんたちの移住への気負いとは反対に、温暖な気候と温かな人たちに迎えられた島での生活は穏やかだった。「子供が外で帽子も、マスクもなく遊んでいる」と加藤さん。何気ない日常が特別なことではなくなってきた。

 加藤さんは「自分を構える必要のない島。性格まで明るくなった」と話す。前職は設備機械の設計だが、有機栽培をしている父の影響で、農業への転職を考えていた矢先の大震災。今後はオリーブなど果樹栽培を目指すという。

 敬子さんは「子供たちが小豆島の自然の中でたくましく生きれば、将来、困難に出合ったときに乗り越えられる」と、島の暮らしに期待を寄せる。8月末には、福島県郡山市から敬子さんの両親が様子を見に来島したが、穏やかな家族の姿に安心したそうだ。その際に父、甚一さん(71)が残した「しっかり根を張って小豆島で生きなさい」というエールは心の支えとなっている。

 加藤さんが勤める「アグリオリーブ小豆島」の秋長正幸社長(62)は「まじめで勉強熱心な人。期待しており、本人のやる気に応えてあげたい」と話す。

 原発事故の影響は、長い年月に及ぶと考える加藤さん。自分たちだけが穏やかに暮らしていることに引け目すら感じている。「福島に残っている人たちのために何かできることはないか、それが小豆島への移住のきっかけにならないか。生活が落ち着いたら取り組みたい」と、今後は福島に残る人たちの役に立ちたいと考えている。

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 江戸末期、疲弊した農村復興にあたった二宮尊徳(1787〜1856年)ゆかりの全国18市町村が、まちづくりを語り合う「第17回全国報徳サミット桜川市大会」が22日、同市の大和ふれあいセンター「シトラス」で開かれた。福島第1原発警戒区域の南相馬市長ら同原発周辺5市町村も参加。尊徳の教訓を復興に生かす決意を見せた。(田中千裕)

                  ◇

 21日に開幕した大会は、前年の福島県相馬市大会に続くもので、県内では平成19年の筑西市大会以来。福島県から参加した5市町村は天保の飢饉(ききん)などで財政難となった旧相馬藩の再建を指導した尊徳が足跡を残した地域。浪江町、飯舘村なども尊徳研究協議会に加盟している。

 尊徳は至誠、勤労、倹約などにより私財を社会に還元する「報徳」精神、そして「力を合わせて人に尽くせ」などと教えた。

 22日には、関係首長らによるパネルディスカッションが行われ、立谷秀清・相馬市長が「150年前の尊徳の精神に立ち返りたい」、桜井勝延・南相馬市長が「市民と心ひとつになっての新たなまちづくり」などをアピール。全町民が避難している大熊町の武内敏英教育長も「次世代の子供たちの力を尊徳(思想)の実践に求め、再生の道としたい」と復興との結びつきを強調した。

 最後に中田裕・桜川市長が「報徳の教え『心田開発』の精神で被災した子供たちを支えます」と大会宣言を採択し、閉幕した。

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