Dec 06, 2008
汚れを増やさないために
海が好きでよく泳いで行っており、きれいな海に旅行にも行っています。いつもお肌は小麦色に焼いてしまいます最近はさすがに汚れが気になり始めました。特に顔にしてしまったシミは、メイクも完全に消えずにぎこちないです。サプリメントを服用したり、化粧水に拘っドーハているうちに、いつの間にか薄く消えたのもあるが油断ではない。今の対策をしておかなければと思います。カマキリは、人々が大きいのか、と色々ですね。足裏など耳の物が急にでき、たくさんあったりする場合には、ただのほくろだと思いがちですが、病院に行って報告を受けたことを推奨します。がんの場合もあることです。こんなところにあったかかり思い、最近点が増えていると思うと、一度検診にもいいかもしれません。
「前回経験した選挙は3日間。(本格的な)選挙戦は今回が初めてです」。昨年12月4日夜、長崎市南部の集会場。再選を目指す田上富久氏(54)は出馬表明後、初の市政報告をした。約35人の支援者の前で相次ぐ職員の不祥事をわび、その後に4年間の実績などを強調。アルコールも交えながら頭を下げ、握手して回った。
“3日選挙”と呼ばれた07年の前回選。伊藤一長・前市長(当時61歳)が凶弾に倒れ、投票3日前に急きょ補充立候補した。ドタバタの中、有力視された伊藤氏の娘婿に953票差で勝利。「市政は家族のものでない」などと訴えた“世襲批判”も勝因の一つとされた。投票率は過去最低の55・14%。主な政党は非常事態に腰が定まらず、有権者からは「肝心の人柄や政策がほとんど分からなかった」と不満も漏れた。
あれから4年。今度は確実に政策、手腕が問われる。ある市議は「可もなければ不可も無いよ」と冷ややかに語る。
職員時代から携わったまち歩き観光「長崎さるく」は軌道に乗り、特に昨年は大河ドラマの影響もあって大好評だった。核拡散防止条約(NPT)再検討会議(昨年5月)に合わせて渡米、核兵器廃絶を訴えるなど「平和市長」の顔も備えた。行政改革により09年度には06年度比で人件費を26億円削減した。
が、別の中堅市議は言う。「無難にやっているようだが、議会と執行部の関係を疑問視する声もある。地殻変動は起きている」
09年10月11日、広島市役所。同市と共同で五輪招致検討委を設置すると発表した。市議には寝耳に水。「何の根回しもなかった」(ベテラン市議)。議会には不満がくすぶった。
2月2日の後援会事務所開き。田上氏は真新しい黒縁眼鏡で登場、イメージチェンジも図った。選挙戦では「長崎を進化させる」をキャッチフレーズに、経済、街づくり、暮らしなど六つの「進化」を掲げるという。自身「初」という本格選挙。4年間の真価も問われる。
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政権交代後、初の統一地方選。4月24日投開票の長崎市長選には、既に現職の田上氏と、新人で前教育長の太田雅英氏(62)が出馬表明。現市政に批判的な共産党も独自候補擁立を検討する。各種陣営が繰り広げる前哨戦や、主な政党の動きを追った。【下原知広】
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◆立候補予定者
田上富久(54) 無現(1)
太田雅英(62) 無新
〔長崎版〕
3月2日朝刊
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入試投稿問題で、京都大は2日、苦情が約40件寄せられていることを明らかにした。電話で数十分間にわたって話す人もおり、通常業務に支障が出るほどだという。
京大によると、内容は「監視をしっかりしろ」「携帯電話を持ち込ませるな」などで、電話で広報課に寄せられている。受験
川島テキスタイルスクール(京都市左京区)の修了展が2日、京都市美術館(同)で始まった。染めや織り、編み物の技術を駆使したインテリアや服地が並んでいる。
同校は織物メーカーの川島織物セルコン(同)が運営し、20〜60代の20人が学んでいる。展示では国内外で活躍する卒業生や、米国や台湾からの交換留学生の作品も含め計65点を紹介している。
機械織りと手刺しゅうを組み合わせた服地や、各ピースがクッションにもなるフェルト製ジグソーパズルなど個性あふれる作品に、訪れた人たちが見入っていた。6日まで。無料。
数多くの国宝や重要文化財の仏像修理に携わった財団法人・美術院国宝修理所の前所長で同美術院常務理事の小野寺久幸(おのでら・ひさゆき)さんが1日午後11時、肝不全のため、奈良市内の病院で死去した。81歳。宮城県気仙沼市出身。自宅は京田辺市草内法福寺17の1。告別式は4日午後1時、京都市南区西九条池ノ内町60、公益社南ブライトホールで。喪主は妻セツ子さん。
1955年から美術院(京都市)で3千体を超す仏像修理に携わった。75年に美術院国宝修理所長に就き、25年間務めた。広隆寺の弥勒菩薩像や法隆寺の百済観音像の修復を手掛け、東大寺南大門の金剛力士立像(仁王像)2体の解体修理を指揮した。96年、紫綬褒章、2003年、旭日小綬章などを受章。
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