Aug 20, 2011

会社設立の新しい形態

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 川崎北高硬式野球部の濱田俊之投手(18)が、今季からプロ野球独立リーグの四国・九州アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団することが決まった。同校からは吉田えり投手(元神戸9クルーズ)以来の独立リーガー。濱田は21日にチームに合流し、プロ生活をスタートさせる。

 今や独立リーグは、最高峰の日本プロ野球(NPB)の「登竜門」的位置付けとしても注目を浴びる。右腕が掲げるのは「日本一のピッチャーになる」こと。見果てぬ夢を抱き、厳しい世界に足を踏み出す。

■夏の記憶
 膨れ上がった将来の自分像と、今ある自分の姿。憧れのイメージにこそ遠いが、濱田を止めるものはなかった。

 あの熱い夏の記憶は今も色あせない。背番号1を付けて挑んだ昨夏の神奈川大会4回戦は、前回大会王者の横浜隼人。先発を仲間に託した濱田は救援に回った。

 ところが、先発投手が予想外に安定せず、2点を追う二回途中から早々とマウンドに上がった。心の準備は万全とはいえなかったが、以後1失点の力投。高収入結果、敗れたものの、好勝負を演じた。

 高校3年間が凝縮された一戦で「最後にみんなで戦えた」ことに悔いはなかった。ただ、大会後しばらくは「放心状態」だったという。濱田が向き合ったのは、自らの今後の生き方だった。

■プロ志向
 手のひらに選択肢は三つあった。大学進学と一般企業への就職。その両方から野球推薦での誘いがあった。川崎北の佐相眞澄監督(52)は、先を見据えた上で「よく両親と相談しろ」と濱田に伝えた。だが―。

 強烈なプロ志向を持つ右腕の腹は決まっていた。「今はまだ力不足だけど、プロ12球団のどこかに入ることが目標。大学での4年間と独立リーグでの4年間。どちらが大きいか」。近年の独立リーグは実力的にも認められ、ドラフトにかかる選手も年々増えている。高校卒業後に直接独立リーグ入りする選手こそまだ少ないが、濱田は三つ目の選択肢に懸けた。

■上昇意欲
 11月下旬。佐相監督は濱田を連れ、愛媛マンダリンパイレーツのテストを受けに愛媛へ飛んだ。そこで濱田は「ベスト」(佐相監督)の投球を披露した。横手から繰り出される勝負球のスライダー、シンカーは見応え十分。出会い潜在能力の高さを見込まれ、合格した。

 愛媛までの道中、監督と2人きりでこれだけ長い時間を過ごしたのは初めてだった。もともと口べたな右腕は、思うことをなかなか言葉にして表現できない性格。ただ、「それでは社会人になったら認められない」と佐相監督は、濱田本人の口から語らせた。「帰ってきてから、少し大人になったな」。監督にとって、教え子の変わりようがうれしかった。

 月給12万円からのスタート。洗濯も炊事もすべて自分でこなす。同じプロでも、日本プロ野球とは待遇が違う。でも、と濱田は続ける。「どんどん試合で投げてアピールして、3年でプロ(野球)に行きたい」

 高校進学の際もそうだったが、強豪私学で野球を続けるよりも、公立校を強くして甲子園出場、という目標があった。下からはい上がる上昇意欲こそ右腕の本性だ。

 その精神性は、プロの世界であっても同じかもしれない。高校時代、横浜スタジアムでプロ野球をよく観戦した。ひいきにする横浜ベイスターズの投手陣が次々と打ち込まれるさまに、「いつか、僕が強くしたい」。本気でそう思った。
信じる道

 1月。夏から体が一回り大きくなった濱田がいた。頑固で寡黙。出会いかつてそんな不器用さがナインに勘違いされたエースは、もういない。「自分は川崎北で育った。高校の名前を広めて、日本の中で一番を取るようなピッチャーになりたい」

 もし、独立リーグ行きの判断が拙速だと言われれたとしても、濱田は笑い飛ばすだろう。自分の信じる道に進むべきは、今この時なんだと。
 快く送り出してくれる両親に、支え続けてくれた監督、仲間たち。それぞれの顔を思い浮かべると、自然と口からこぼれ出た。「また、戻ってきます」。大きく羽ばたき、再び地元に凱(がい)旋(せん)するその日を、誰もが心待ちにしている。

 濱田 俊之(はまだ・としゆき) 松林中―川崎北高。高校2年の神奈川大会から先発マウンドを経験し、3年の春季県大会8強入りの原動力となった。3年夏は4回戦で横浜隼人高に敗れたが、2点を追う二回途中から継投し、1失点の力投をした。右横手から最速136キロの直球に、スライダー、チェンジアップ、シンカーを組み合わせる技巧派。175センチ、74キロ。右投げ右打ち。

◆独立リーグ 日本野球機構(NPB)に属さない、プロ野球リーグ。2004年以降に全国各地で発足され、現在、関西独立リーグ、四国・九州アイランドリーグ(IL)など5リーグ(女子リーグ含め)が個々に独自運営する。愛媛マンダリンパイレーツは、05年に四国・九州ILに加盟。本拠地は松山市・松山坊っちゃんスタジアム。

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