Feb 12, 2010
賃貸事務所を活用しましょう
業務などで事務所が必要な場合は、レンタルオフィスを利用するのが良いでしょう賃貸事務所で必要とされる規模や位置なども自由に選ぶことができ、とても便利に高いにもかかわらず、必要がなくなっても賃貸事務所ならない余計な手間もかからず安心ですオフィスが必要ある場合は、レンタルオフィスを効果的に活用されてはいかがでしょうか。企業を考えるように言えば、資金繰りもそうですが、会計事務所をどうするかということになると思う。これは事業をしている以上は確定申告をしなければならないし、自分の代わりに確定申告を受けるためには会計事務所に代行してもらうしかない。しかし、会計事務所を選ぶ際は慎重になった方がいいと思う。
米ハワイ・オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高校(同県宇和島市)の実習船「えひめ丸」が米原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突され沈没し、9人の犠牲者を出した事故は10日(現地時間9日)で丸10年がたつ。救助された実習生はすでに成人し、社会での歩みを始めた。だが、友人を失い死の恐怖を味わった心の痛みはいまだ消えない。無念や葛藤と向き合いながらそれぞれの10年を迎える。(岡嶋大城、松山支局 細田裕也、浅野幸治)
▼忘れないで
同校の一室には、犠牲者の写真や遺品が展示されている。現在の生徒には生々しい事故の記憶はほとんどない。野上完治校長は「昔よりもしっかりとした説明が必要になった」と時代の変化を感じる。今年の慰霊式典では、事故を風化させてはならないとの思いを込め、校内に県名産のミカンを植樹する。野上校長は「ミカンの色づきとともに、犠牲者を思い出すよすがになればいい」と願う。
唯一遺体が見つかっていない元実習生の水口峻志君=当時(17)=の父、龍吉さん(58)は今年もハワイを訪れるが「息子が死んだとは思っていない」と複雑だ。息子の同級生はすでに20代半ばとなった。時折、自宅を訪ねる彼らに対し「うちにも同級生がいることを忘れずしっかり生きてもらいたい」と語りかけている。
▼やっぱり海が好き
「宇和島で生まれ、ずっと海と一緒だった」。救助された元実習生の男性(27)は現在、毎朝6時に父親と漁に出る。
事故後はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、3年ほど陸でアルバイト生活を続けた。
実習でペアを組み、ともに遊んだ寺田祐介君=当時(17)=の姿が思い浮かぶ。沈みゆく船の甲板上で「どうしたらいいだろうか」と声をかけてきた。状況を理解できず、何も答えることができなかった。「ほんの何秒かの差で自分だけ助かった。いいやつだったのに…」。生死を分けた瞬間が脳裏に深く刻まれた。
そんなときに小学校の友人がお守りをくれた。「本当にうれしくて、言葉にならなかった」
海から離れることも考えたが、21歳で地元の漁師になった。「苦しんだがやっぱり海が好き」という。
10年たっても複雑な思いに変わりはない。それでも「自分も前進しなければいけない」。今年初めて同校の慰霊式に出席し、仲間の冥福を祈る。
▼和らぐ憎しみ
「ガッチャン」。閑静な自宅近くの道路のマンホールの上を車が音を立てて通る。えひめ丸の機関士、木村秀勝さん(55)は「音に敏感になり、深夜に何度も跳び起きた」と振り返る。
船底に近い居室でテレビを見ていると、刃物で金属を切り裂くような音が響いた。エンジン音が消えて蒸気爆発が起こり、船内は闇に包まれた。「静かな場所が怖い」。PTSDと診断され、元気づけようとした妻の言葉に怒りをぶつけたこともあった。悩みが増す中「すべて事故のせいにすればいいんです」。主治医の言葉で少し楽になった。
事故後は県内の別の高校に派遣され、野菜づくりや校舎のペンキ塗りに明け暮れた。親身な教員や屈託のない笑顔を見せる生徒に囲まれ、事故の記憶が徐々に遠ざかった。5代目えひめ丸が新造されると乗り組むことに迷いはなかった。
ハワイを訪れると死んだ仲間を思い出すが、憎しみはすでに和らいでいる。
「われわれが苦しんだのと同じように潜水艦の艦長も苦しんだ。もう、いいのではないか」
【用語解説】えひめ丸事故
平成13年2月10日午前8時43分(現地時間9日午後1時43分)、米ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」(499トン)が急速浮上した米原子力潜水艦「グリーンビル」(スコット・ワドル艦長、6000トン)に衝突されて沈没し、乗組員35人のうち実習生ら9人が亡くなった。救助された乗組員もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ。米海軍は全面的に非を認めて謝罪。賠償し、艦長は懲戒処分を受けた。同校とハワイには慰霊碑が建てられ、毎年追悼式典が開かれている。
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衝突事故当時、グリーンビルの艦長だったスコット・ワドル氏(51)が産経新聞の取材に応じ、「毎日、被害者家族に思いを巡らせている」と事故から10年を迎えるに当たっての心境などを語った。(米ノースカロライナ州ケーリー 犬塚陽介)
−−海軍除隊後の歩みは
「ノースカロライナ州に移り住み、2004年からはコンサルタント業を営んでいる。企業の幹部の訓練や弁論術の助言をしている。求められれば事故について話すこともある」
−−事故から10年が過ぎた現在の心境は
「苦しみは何も変わらない。毎日、被害者家族に思いを巡らせている。これまでに4回、ハワイの慰霊碑を訪れている。だが、追悼式典には招待されなければ出席しない。被害者家族に敬意を示し、意向を尊重するためだ」
「潜望鏡による(海上の)探索をもう少し長くしていれば(えひめ丸を)発見できたし、緊急浮上の直前の進路変更で別のコースを取っていれば、衝突することはなかった。防ぐことが可能な事故だった。私には艦長としての責任がある」
−−後悔することは
「何よりまず、痛みと苦悩を被害者家族に与えたことだ。当時に戻れるなら、9人が亡くなる結末を変えるためにどんなことでもしたい。(未発見のままの)水口峻志君の家族に遺体を埋葬できなかったことを謝りたい」
「もう一つの後悔は、えひめ丸の引き揚げに約1億ドルの費用がかかったことだ。そのお金で海軍の兵士や家族の生活環境が向上できた。約1千万ドルの潜水艦修繕費用も同様だ」
−−多くの関係者にとって困難な10年だった
「私自身も多くの困難を経験した。多くの脅迫を受けた。10カ月も失業し、眠れない日々が続いた。不安で白髪になってしまった。家族とともに消えてしまえればと思ったりもした。ただ、人々の同情を求めるようなことはしないよう努めてきた。被害者家族の悲しみを思えば、私のことなど問題ではないからだ」
−−事故後、すぐ謝罪せずに厳しい批判を浴びた
「米国での謝罪は罪を認めること。事故直後、米政府や海軍にも(原因究明段階で)謝罪は適切ではないと言われた。謝罪が遅れたのはそのためだ。日米の文化の違いから、不快感を与えてしまうこともあったと思う」
−−今後への思いは
「私の体験談が悲惨な事故の再発防止になるよう努めたい。また、常に礼儀正しく、信義を守り、誠実でありたい。事故が私の人格を決定づけるのではなく、その後の行動が私の人生を決めることを示したい」
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